<プロフィール>
夫婦剣士!?
【レインボーならぬ七色行政書士】
1. 我こそは、
「赤ひげGパン行政書士」なり。
私は1年中Gパン姿である。私がGパン行政書士を名乗る本当の理由は、「先生」と呼ばれたくないということである。「先生」と名の付く人に尊敬できる人はどれだけいるだろうか?私は、とんとお目にかかったことはない。ただ、「我以外は皆師なり」とはその通りであり、その気持ちは忘れずに持っているつもりである。
2. 我こそは、
「ポスティング行政書士」なり。
私は、毎週一回、事務所を中心にポスティングをしている。毎回のノルマは500枚。ポスティング中に最低でも7〜8人の方とお話ができ、直接手渡しすることができる。これが最大の魅力である。「すべての答えは現場にあり」。ポスティングをしていると、新しいアイデアが浮かんでくる。健康の為にもポスティングは続けたいと思っている。
3. 我こそは、
「そば打ち行政書士」なり。
私は、そば嫌いの手打ちそば職人である。今から10年近く前になるだろうか、義兄がそば打ちをはじめたばかりで、私のためにそばを打ってくれた。それがきっかけとなり、そば教室に通い、そこでそば打ちの師匠に出会い、そば打ちに夢中になる。気を入れて打つ私のそばは天下一品だと自負している。
4. 我こそは、
「茶人行政書士」なり。
娘が嫁いで空部屋となった4.5畳の洋室を改装して茶室をつくった。もちろん炉をきった本格的なものである。裏千家の茶道の師範でもある母から道具一式をもらい、最初に母のお点前を披露してもらった。利休の茶道精神「和敬清寂」を会得したいと思っている。
5. 我こそは
「刀を持った行政書士」なり。
会社を退職すると同時に、夫婦揃って居合い道場の門をたたいた。居合いをはじめるまでは正座が全くできなかった。訓練とは恐ろしいもので、私のような硬い身体でも、今では正座はまったく苦にはならなくなった。悪に立ち向かう行政書士にあこがれもあり、夫婦剣士もいいではないかと思っている。
6. 我こそは
「二宮金次郎を愛する行政書士」なり。
混沌としたいまこそ、皆が『二宮金次郎』の教えを学ぶべきであると思う。私の知る金次郎は、勤勉な金次郎というイメージだけであった。その実は、70歳の生涯を終えるまでに、関東地区600以上の農村と藩の財政を立て直した大実業家である。今こそ、金次郎像を復活すべきだと思っている。
7. 我こそは
「家康生まれ変わりの行政書士」なり。
私の故郷は愛知県岡崎市である。しかも、松平家(家康の祖先)の菩提寺である大樹寺(だいじゅじ)。家康の遺訓にもあるが、「人の一生は重荷を負うてゆくがごとし、急ぐべからず」と堪忍の必要性を説いている。この精神は、私を含め、多くの三河人にはいまだ脈々と受け継がれているものである。とくに三河精神の代表でもある「謙譲の美徳」は関東では通用しないということも肌で感じてきた。その度に、私は「無償の愛」と自分に言い聞かせて、その試練を乗り切ってきたものだ。