相続しかやらない行政書士は珍しい!?

世の中に、あまた行政書士はいますが、相続しかやらない行政書士は少ないと思います。行政書士の取扱業務は、5000とも10000種類とも言われています。相続に特化するには、豊かな人生経験と実力が必要。誰しも、命にかかわる大病をした時、できれば専門医に命を預けたいと思う筈です。私は、相続の専門医として、毎日業務に取り組んでいます。

磯村行政書士事務所 代 表 磯村修世

04-2923-5207   mail@muyuan.info 


<履 歴>

1952年10月
愛知県にて出生

一部上場企業の
部長職を経て、
2011年1月
行政書士事務所と
不動産事務所を開業

2012年2月
相葬学専門『夢遊塾』を主宰(現、ところざわ相続専門学院
に改称)。相続に特化。
毎月第1月曜日に開催

2012年12月有志と、
LBS『所沢くらしとビジネスを
支援する会』を設立(会長就任)

2015年11月
不動産事務所を廃業し、
相続専門(遺産整理)の
行政書士に特化

<ライフワーク>

遺言・相続は非常に
デリケートな問題であり、
かつ財産にかかわるもので
あり、誰しも人には知られ
たくないものだと思います。

一方で遺言の重要性が
言われて久しいものの、
いまだ遺言作成率は
成人死亡者の10%にも
満たないと言われています。

生保世帯加入率90%と
比較しても、あまりにも少な
すぎます。
正しい遺言があれば
相続トラブルの大半は
防げるものです。
私は、35年の財産管理の
実務経験でこのことを
痛感しました。

遺言を書くことは自分の
想いを実現する最善の
方法であり、家族への
最高のプレゼントであると
思います。

私は、相続トラブルの
未然防止をライフワーク
として、業務に全力投球
します。
           
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赤ひげ
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<プロフィール>


      
                                                          夫婦剣士!?

【レインボーならぬ七色行政書士】

1. 我こそは、「赤ひげGパン行政書士」なり。
 私は1年中Gパン姿である。私がGパン行政書士を名乗る本当の理由は、「先生」と呼ばれたくないということである。「先生」と名の付く人に尊敬できる人はどれだけいるだろうか?私は、とんとお目にかかったことはない。ただ、「我以外は皆師なり」とはその通りであり、その気持ちは忘れずに持っているつもりである。


2. 我こそは、「ポスティング行政書士」なり。
 私は、毎週一回、事務所を中心にポスティングをしている。毎回のノルマは500枚。ポスティング中に最低でも7〜8人の方とお話ができ、直接手渡しすることができる。これが最大の魅力である。「すべての答えは現場にあり」。ポスティングをしていると、新しいアイデアが浮かんでくる。健康の為にもポスティングは続けたいと思っている。


3. 我こそは、「そば打ち行政書士」なり。
 私は、そば嫌いの手打ちそば職人である。今から10年近く前になるだろうか、義兄がそば打ちをはじめたばかりで、私のためにそばを打ってくれた。それがきっかけとなり、そば教室に通い、そこでそば打ちの師匠に出会い、そば打ちに夢中になる。気を入れて打つ私のそばは天下一品だと自負している。


4. 我こそは、「茶人行政書士」なり。
 娘が嫁いで空部屋となった4.5畳の洋室を改装して茶室をつくった。もちろん炉をきった本格的なものである。裏千家の茶道の師範でもある母から道具一式をもらい、最初に母のお点前を披露してもらった。利休の茶道精神「和敬清寂」を会得したいと思っている。


5. 我こそは「刀を持った行政書士」なり。
 会社を退職すると同時に、夫婦揃って居合い道場の門をたたいた。居合いをはじめるまでは正座が全くできなかった。訓練とは恐ろしいもので、私のような硬い身体でも、今では正座はまったく苦にはならなくなった。悪に立ち向かう行政書士にあこがれもあり、夫婦剣士もいいではないかと思っている。


6. 我こそは「二宮金次郎を愛する行政書士」なり。
 混沌としたいまこそ、皆が『二宮金次郎』の教えを学ぶべきであると思う。私の知る金次郎は、勤勉な金次郎というイメージだけであった。その実は、70歳の生涯を終えるまでに、関東地区600以上の農村と藩の財政を立て直した大実業家である。今こそ、金次郎像を復活すべきだと思っている。





7. 我こそは「家康生まれ変わりの行政書士」なり。
 私の故郷は愛知県岡崎市である。しかも、松平家(家康の祖先)の菩提寺である大樹寺(だいじゅじ)。家康の遺訓にもあるが、「人の一生は重荷を負うてゆくがごとし、急ぐべからず」と堪忍の必要性を説いている。この精神は、私を含め、多くの三河人にはいまだ脈々と受け継がれているものである。とくに三河精神の代表でもある「謙譲の美徳」は関東では通用しないということも肌で感じてきた。その度に、私は「無償の愛」と自分に言い聞かせて、その試練を乗り切ってきたものだ。



<戒名不要論>

かつて、私は父と一度だけ
口喧嘩したことがある。
吉田茂元首相の懐刀で
あった故白洲次郎氏と同じ
く私も「戒名不要論」
説いたのである。

父は「そんなもんじゃない」
と言って悲しそうな顔をして
いたことを今でもはっきり
覚えている。

父が亡くなって十数年が
経つが、私の戒名不要論
は変わらない。
ただ、白洲次郎氏は
「葬式無用」と言ったが、
私は葬式は成仏する為の
厳格な儀式であり欠かせ
ないと思っている。

ただ、条件があって、
葬式は家族葬とし、
デスマスクは、
他人には一切見せない
いうこと。
これは、ささやかな私の
美学
である。


<尊敬する人物>

尊敬する人物は、
二宮金次郎である。
翁は70歳で亡くなるまでに
関東地区600以上の
村の財政再建を成し遂げた
優秀な実業家であるが
自分の財産は
一切残さず、一生を
人の為に捧げたのである。

翁の説いた
「至誠」「勤労」「分度」
「推譲」
「積小為大」
は私の人生の道標である。

翁は、56歳の時に尊徳と
改名した。
私も翁にあやかって同年齢に
観月(通称名)とした。
観月は、書道家でもあった
亡き父の雅号でもある。

私も、父や尊徳に負けない
よう、少しでも世のため
人のために役立つ人間に
なりたいと思っている。